北海道ライオンアドベンチャー 下田伸一さん

移住者もこの町で育った人たちも、共に活躍できる町にしていきたい

下田さん
インタビュー日:2019年10月15日 聞き手 広報広聴係 大野
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スキーやスノーボードが好きで、移住する人も多いニセコ町。下田伸一さんもそのお1人です。下田さんが代表を務める株式会社北海道ライオンアドベンチャー(以下、ライオンアドベンチャー)は、ラフティングやサイクリングを提供するニセコ町の代表的なアウトドア会社の一つです。ニセコに遊びにきて、ライオンアドベンチャーの提供するアクティビティを体験されたことのある人も多いのではないでしょうか。
ライオンアドベンチャーは以前、ニセコ駅隣に事務所がありましたが、駅前に町が中央倉庫群を整備してからは、その1つを借り、社員のみなさんと倉庫を自ら改修して、素敵な事務所に生まれ変わらせました。
 
そんな下田さんは東京生まれ。埼玉、カナダでの生活を経て17年前にニセコ町に移住しました。下田さんは、ライオンアドベンチャーのほかにもさまざまな地域づくりの活動に携わっています。本業以外にも多忙な日々を送る下田さんですが、そんなことは微塵も感じさせない気さくな下田さんに、移住の経緯やこれから移住を考えている人たちへのメッセージをうかがいました。
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下田伸一さん提供

下田伸一さんへのインタビュー

下田さんインタビュー

こちらに移住されたきっかけと経緯を教えてください。

東京で生まれて埼玉で育ちました。高校を卒業後、美術系の学校に進学し教員免許を取得しました。このころは人生に対してまだ真面目でした(笑)。ところが教員採用試験に落ちたことをきっかけに、その後の人生をどう生きるべきか考えるようになりました。
その結果、豊かな人生設計のため見聞を広めるべく長期の海外渡航を思いつきます。渡航資金を貯めるために運送業でセールスドライバーの仕事をすることになります。今は思い出したくないほど過酷な労働でした。令和時代では許されないほど本当に倒れるまで働きまくりました。
資金づくりという目的を達成後、仕事を辞めて初志である「日本を飛び出して広い世界を見たい」という強い思いを抱いて、カナダへ渡りました。ウインタースポーツをやりたいという思いから、カナダのウイスラー、バンフで2度冬のシーズンを過ごしました。今の奥さんともカナダで出会いました(東京出身の日本人です(笑))。バンフで6ヵ月生活した後、スイスのツェルマットやニュージーランドなどへの渡航も考えましたが、人生のベースとなる場所が必要と2人で話し合い、日本に戻る事にしました。日本のすばらしさは海外で生活すると身に染みて感じます。
トータル的なライフスタイルを考え、戻るとしたらもう東京ではないと思いました。
 

移住先にニセコ町を選んだ理由はなんですか。

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ライオンアドベンチャーホームページより

カナダにいるときから、スノーバム(パウダースノーを求める人たち)の間でニセコの雪質は話題になっており、日本に戻ったらニセコに住もうと決めていました。しかし、いきなりニセコで生活をするのはハードルが高すぎると考え、情報収集と移住資金を稼ぐためにまずは2人で札幌に住み、ニセコ移住の準備期間を設けました。
ニセコでどんな仕事でもできるように大型・大型特殊・フォークリフトの運転免許などを取得しました。元々仕事があるからニセコに行くのではなく、ニセコに住むために、どんな仕事でもやろうと考えていました。当時からアウトドアは好きでしたが、仕事にするとはまったく考えていませんでした。

ニセコ町移住後の仕事について教えてください。

札幌での準備期間を経て、2002年にニセコ町に移住しました。当時は倶知安町とニセコ町の違いもわかりませんでしたが、最初の仕事でお世話になった知り合いの紹介で住んだ住宅がたまたまニセコ町でした。
ニセコに来た当時の仕事はスキー場の索道係、農家の手伝い、屋根の雪下ろし、ハイヤーの運転手、スキー・スノーボードのインストラクターなどなんでもやりました。翌年2003年からセゾンクラブで働き、バスの運転手や修学旅行の営業、ラフティングのガイドなどをしました。
その後セゾンクラブのアウトドア部門を分社化することになり、2006年にセゾンクラブから独立してライオンアドベンチャーを設立しました。
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ライオンアドベンチャーホームページより

会社設立の経緯についても教えてください。

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長野県白馬村のライオンアドベンチャーと関係があるのかよく聞かれます。実は、白馬村のアウドドア会社(株)ポップと私が働いていたセゾンクラブはもともと季節間で業務委託をしていたこともあり、親密な取引関係にありました。セゾンクラブのアウトドア事業部を(株)ポップが出資して北海道支店として2006年にスタートしたのが今の北海道ライオンアドベンチャーのはじまりです。
スタッフはそのままセゾンクラブで働いていた仲間たちと続けられたので、順調に移行する事ができました。両社長や立ち上げ当時のスタッフ、そして今に至るまでのスタッフにも本当に感謝です。

ライオンアドベンチャーのロゴはニセコ町で設立時に、美術の教員資格も持つ下田さんが自分自身で考えたものだそうです。よくみると「ライオンアドベンチャー」の文字が隠れています。会社の名前も下田さんが考えました。

私が考えたロゴを気に入ってもらえて、白馬の本社がその後、屋号をこれまでの「白馬アウトドアスポーツクラブ」から「白馬ライオンアドベンチャー」に変更しました。
今は完全に白馬ライオンアドベンチャーから資本的に独立していますが、白馬でも北海道でもそのままの名前でそれぞれアウトドア事業を継続しています。今も仲良しです(笑)
現在の資本体制はクロスプロジェクトグループの「(株)北日本リゾート」が出資元です。
人と人とのつながりで今の北海道ライオンアドベンチャーが成り立っている事に深く感謝です。ニセコに移住してからお世話になったさまざまな方との出会いがなかったら、今の状況はなかったはずです。
 
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下田伸一さん提供

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下田伸一さん提供

「ライオン」の名前の共通点から、「ニセコライオンズクラブ」に声をかけていただき、町長、副町長、教育長や議長などをはじめ町のさまざまな有力者たちと知り合うことができ、そこからも人脈が広がっていきました。地域貢献事業はもちろんですが、商売的にも何度も力になっていただきました。ここでも人とのつながりに本当に感謝しています。

住み心地はいかがですか。住みやすさを感じる具体的な部分を教えてください。

住み心地は最高です。特に有島地区はすばらしいです。移住して17年目ですが、今でも毎日リゾート旅行中の気分です。暮らす場所としてニセコのすばらしさは世界一です!(笑)
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下田伸一さん提供

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下田伸一さん提供

子どもが3人産まれて、町内に家を建てることにしました。約6年前に有島地区に引っ越しました。それまで住んでいた地区は移住者しかおらず、広報も届きませんでした。有島地区は移住者も多い地区ですが、昔から住んでいる地元の人も多く、ほとんどのかたが町内会に入っています。町内会では毎月の集まりで深い付き合いがあり、年に1度は1泊で旅行に行きます。最初はあまりのディープさに驚きましたが、そういうものだと思ってしまいました。有島地区は、有島武郎が農場の無償解放をした土地で、「相互扶助」の考えが息づいています。子どもを地域で育てる風土も残っており、子育てするにはとてもいい場所です。
この辺の経緯は有島記念館の友の会「土香る会」の会誌に寄稿した下記に詳しく書きましたので、よければ読んでみてください。
あとは実際にニセコ町に住んでみて、除排雪がきれいでびっくりしました。札幌よりもきれいに除雪してくれると思います。(札幌もきれいですが!)

精神面での変化はありましたか。

東京や埼玉に住み続けていたら、子どもを3人も産むことはなかったと思います。犬を飼うことも考えなかったかもしれません。奥さんも東京出身で、2人とも移住者ですが、子どもはニセコ町で産まれて、この町で育っています。帰省では、子どもを連れて東京にも行きます。アクティビティとして行列体験や混んでいる満員電車を体験させているせいか、子どもたちは「東京は住む場所ではなく、遊びにいくところ」だと考えているようです(笑)

地元の人とのコミュニケーションはいかがですか。

飼っていた犬が死んだとき、その話を地元の種苗会社の社長にしたら、苗木をプレゼントしてくれました。暑さに弱い犬だったので、火葬は嫌がると考え、自宅の庭に自分でユンボで穴を掘って樹木葬にしました。プレゼントの苗木は紅葉、落葉するので犬が生き続けているような感じです。本当に感謝しています。
種苗会社の社長とは「ライオンズクラブ」で知り合い、その後は会社ぐるみで繁忙期にはスタッフを農業派遣し、お礼にたくさんの枝豆や野菜をもらうなど交流が続いています。
地元の農家さんの畑の手伝いもすることもあります。出面賃としてお金と一緒に野菜をもらうことも多く、以前に旅行で4日間自宅をあけ、帰ってきたら玄関のカギを閉め忘れて開いていました。「しまった!カギを閉め忘れて、泥棒に入られたか?」と恐る恐るドアを開くと、玄関に農家さんからの出面賃と大量のユリネが置いてあったことがありました。こういうことがあると、この町に住んでいてよかったなぁ、幸せだと思います。
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下田伸一さん提供

「もっとこうであったらよいのに」と思うことはありますか。

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下田伸一さん提供

いつまでも田舎のよさが残ってほしいと思います。玄関前に誰かの善意の置き野菜があるような心あたたまる豊かさが残ってほしいです。だんだん「キチンと戸締りしましょう」という世の中になってきましたが、ニセコ町は相互扶助の精神があるので100年先までこの精神が守られていってほしいです。
ニセコ町に住みたい人もいると思いますが、子どもがいたり、動物を飼うとなると現在の住宅事情はとても厳しい状況です。ニセコ町に住みたい人が、適正な価格で住めるような選択肢が十分にある状況になるといいと思います。それには税金投入だけでは限界があるのでニセコファンになってくれるような企業の力の活用なども重要です。
また、ニセコ町は子育て環境が良いのですが、義務教育を修了すると町外へ進学する子が多いと感じます。もちろんニセコ中学校からニセコ高校へ進学して地域で活躍している人もいます。しかし、まだまだ町立のニセコ高校の環境や魅力が十分に生かされていないと感じています。北海道の事業で全国から大学生を迎え「ニセコ留学」と銘打って、ニセコ地域で英語を学びながらインターンをする事業をしています。ニセコ高校も、この地域の特色を生かして、国際スキーリゾート教育や英語教育などもっと多くのことができると思います。今は地域の子は、進学志向の高等教育、大学に進もうとすると、この町を出ざるを得ません。この町に残って学べる環境があるといいと願っています。逆に全国から呼び込める環境を整備すれば、町外から入学を希望する中学生ももっと増えるかもしれません。都市部一極集中の是正にもなると思います。今はインターネット環境さえあれば、youtube大学などいろいろな勉強方法があります。ハーバード大学の授業でさえ無料で受講できる時代です。何をしたいかも重要ですが、どこで暮らしたいかもとても重要です。
世界が認めるニセコの魅力を地域の子どもたちが、より深く理解するようになれば、地域への愛着も一層高まることが期待できます。
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下田伸一さん提供

この町で育った子どもたちが、この町の良さに気づいて、この町に戻ろうと考えた時に活躍できる場があるといいと思います。今は戻りたくてもその環境(進学や仕事や住居)が整っていないため躊躇してしまう子たちもひょっとしたらいるかもしれません。
日本は今も東京一極集中が続いています。北海道では札幌集中です。しかし、事業を行うのに都会である必要は薄れてきています。紅茶の会社ルピシアをはじめニセコ町に進出する企業が増えて来ました。「開発の規制が必要」という議論も理解できます。一方で、町外に進学・就職した今の子どもたちが、将来ニセコ町に戻ってきたいと思ったときに、住まいや仕事といった環境を用意することも大事だと思います。
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下田伸一さん提供

現在弊社には私を含めた十数名の移住組スタッフと共に働く、この地域出身の5人のローカルスタッフがいます。そして今年ついにニセコ町で生まれ育った生え抜きのニセコ高校卒業生が、ストレートにライオンアドベンチャーに就職してくれました。彼ら5人もこの地域の自然環境や雪の価値をきちんと理解しています。 
今年入った彼は、夏はライオンアドベンチャーでラフティングやサイクリングのガイドをして、冬はスキー場でのパトロールを希望しています。東京では考えにくいニセコならではの働き方で、とても良いと思います。そこで、スキー場と会社間で話し合って、冬のパトロールも継続勤続年数としてカウントできるように出向制度を締結しました。これまでのように夏はライオンアドベンチャー、冬はスキー場と季節雇用だと、途中で切れてしまい勤続年数にもならないし、企業側も次の季節にきちんと戻ってきてくれるのか不安になります。この方法で、企業としても次のシーズンは戻ってきてくれると安心できます。少しずつそのような取り組みを進めています。
いい大学に入って、いい会社に就職することを目指すことだけが豊かに生きられる時代ではなくなってきています。生まれ育った町に残って、この町で働き、暮らしたいと願う子にとってもそれが叶う環境があるといいと思います。
ローカルスタッフ5人のうち2人は結婚して所帯を持ち、子育てをしている者もいます。この仕事でも生計を立てていける姿が、後輩を呼び込むことにつながっていけばよいと思います。
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下田伸一さん提供

将来にどのような夢を描いていますか。

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下田伸一さん提供

将来は、このニセコ町がお題目だけでなく、名実ともに持続可能な地域となっていく事を願っています。経済的にも環境資源的にもいつまでも住み続けられる豊かな地域であってほしいです。そのために移住者もこの地域の人(自分の子どもたちを含めて)も、この地域で暮らしていきたいと希望する人たちが、それを叶えられる場所にしていきたいです。仕事も住宅も(希望するなら結婚なども)含めてです。
恥ずかしながらこの近年は、本業をそっちのけにさまざまな地域づくり活動に関わっています。こうして社業以外の地域活動ができるのも頼もしいスタッフたちのおかげです。今では社長の私がいなくても(いないほうが!?)、自分たちで考えしっかり現場は回っています。
最近はニセコ町の自治創生の委員として関わっていることもあり、エネルギー的に自立した地域が実現すればよいと思っています。先日の「地域エネルギー会社の設立に向けて」の町民講座はとてももったいないと思いました。ドイツから来てくれた講師の話はとてもすばらしいものでしたが、せいぜい参加者30人程度にしか届いていません。資料配布もなく、参加者へのアンケートもありませんでした。その場で手を上げて質問することはできなくても、あの話を聞いた参加者は多くのことを思ったと思います。
今後は、せめて映像で残して当日会場に来られなかった人にも配信してほしいと思います。映像として残って配信されていれば、あとからSNSなどで双方向のやりとりができます。以前は実施していたUストリームのようなシステムの復活を望みます。
このようなアイデアが本当に採用されて、自分のような小さな意見がまちづくりに反映されるようなニセコ町であり続けて欲しいと思います。

最後に移住を考えている人に向けてのメッセージをお願いします。

私が移住したニセコ町は自然環境や景観保全もとても素晴らしいところです。そして良い人がたくさんいます。人とのつながりがこの地域の魅力を作っていると思います。この地にはよそ者を受け入れてくれる懐の深さがあります。ニセコ町に移住して本当に良かったです。
私自身、失敗ばかりの連続でなにも成し遂げてはおらず偉そうなことは言えませんが「人生は一度きり」を痛感しております。移住は「できるかどうかではなくするかどうか」だと思います。自分が移住するときは考えませんでしたが、今は自治体のサポートや地域おこし協力隊制度もあります。短期的なお試し移住プランも出てきています。準備も大事ですが勢いも大事ですね。
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下田伸一さん提供

インタビューを終えて

株式会社ニセコリゾート観光協会代表取締役やニセコ町商工会副会長なども務める下田さん。次の世代のことを深く考え、ニセコ町の将来を描いているのが印象的でした。

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ニセコ町役場
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