ニセコ雪崩研究所 新谷暁生氏

「ニセコルール」を支える「なだれ情報」は俺の仕事だという使命感を持っている。

ニセコのレジェンドと呼ばれる新谷さん
インタビュー日:2017年12月27日
 彼を知る人は、尊敬と親しみを込めて「ニセコのレジェンド」と呼びます。
20代で移住し、以来40年以上ニセコに暮らす、モイワスキー場(ニセコ町)山麓のロッヂ・ウッドペッカーズのオーナー新谷暁生さん。新谷さんにはロッジオーナーの他に様々な顔があります。そのひとつが「冒険家」の顔。70年代後半からパキスタンやヒマラヤ、中国への遠征を重ねて、86年のネパールヒマラヤ、チャムラン峯(7380m)登山隊、92年 パキスタン・カラコルム、ラカポシ峯登山隊隊長などを務め、88年にはアルゼンチンのアコンカグア峰(6980m)三浦雄一郎登山隊のサポートメンバーの隊長も務めました。また、86年にニセコを訪れたアウトドア用品メーカーのパタゴニア創設者イヴォン・シェイナード氏のガイドをしたことをきっかけに親交が深まり、氏のすすめで乗ったシーカヤックに魅せられて、積丹や知床、千島、アリューシャン、南米ビーグル水道やホーン岬などを漕破し、現在、夏場は知床の海でシーカヤックのガイドも行っています。
そして新谷さんの冬の顔。ロッジの経営をしながら、ニセコなだれ防止協議会ニセコなだれ調査所という組織の所長を努めます。

登山道具でいっぱいの部屋

「ニセコルール」という言葉をご存知でしょうか。1980年代、ニセコではコース外滑走(バック・カントリースキー)が常態化し、毎年のように死亡事故が起きる日本でいちばん雪崩事故の多いエリアでした。この状況にどう対処するか、地元関係者、有志が長い時間をかけて検討し生まれたのがこのルールです。
「ニセコルール」はスキー場管理区域の外を滑走する人たちと、すべてのスキー場利用者の安全のために、2001年に作られた公式ルールで、スキーヤーの滑走の自由を尊重しつつ、最低限の規制を設けた日本で初めてのコース外滑走に関わるローカルルールなのです。
新谷さんは、この「ニセコルール」の制定に際して中心的な役割を果たすとともに、ウィンター・シーズンは、毎早朝ゲレンデパトロールにでかけ、気象庁や海上保安庁の観測データの分析と加味して、インターネットで「ニセコなだれ情報」を発信しています。新谷さんが文章で発信するこの「なだれ情報」が「ニセコルール」の運用を支えているのです。
 
【ニセコルールの概要】 ゲレンデから「バックカントリー」への出口を、各スキー場内に設けたゲートに限定するなど、危険を避けるために9項目の「約束」を設けた。ガケなどの危険地帯は完全に立ち入り禁止にしたうえで、それ以外のエリアは滑走を容認する。

ニセコルール誕生の経緯を教えてください。

 新谷さん「今から30年ほど前、毎年のようにこの辺でコース外滑走による雪崩死亡事故が起きていたんです。滑るのが上手だからといっても山の知識があるわけではない。つまり多くのスキーヤーが、雪崩の怖さを知らないまま滑っていた。そういう人が増えることで雪崩事故も頻発したわけです。スキー場というのは、国有林や道有林から借りているわけです。コース外滑走をするために貸しているわけではない。だからコース外滑走をさせるなというのが国や道の方針でした。それは今も原則変わらない。でも、コース外滑走をしたくてみんなニセコに来るわけです。それで、事故が頻発して、初めてなんらかの対策が必要だ、ということになり、ニセコ町役場も考え始めた。そこで『コース外に出るゲートを作ってルール化し、安全な日はゲートから出して、雪崩の危険がある日は出さないということを徹底すれば確実に事故は減るだろう』と、俺が言ったんです。それが今から25年くらい前かな」

ニセコルールの経緯について語る新谷さん

スムーズにルール制定に漕ぎ着けたんですか?

 新谷さん「スムーズじゃないですよ。『じゃあゲートを開けた時に事故が起きたら誰が責任を取るんだ』という話が必ず出て前に進まない。俺が言ったのは「責任の問題をいくら議論しても事故は減らない。とりあえず責任問題は横に置いて、利用者にとって何が最善か。利用者の自由を尊重しつつ、安全を守ってやるためにはどうすべきかを議論すべきじゃないか」ということ。かなりそのことを強く言った記憶がありますね。役場も担当が変わると方針が変わるという事もあったけれど、ルール作りには前向きに考えて推進してくれた。あちこちから批判も受けたし、衝突もしたと思うけど、当時の町長はじめ担当者が『ルールは必要なんだと』毅然とかわしてくれた。そういう柔軟な頭を持った人がニセコにいたということが幸いでしたね」

ニセコルールを支える大切な要素となる「ニセコなだれ情報」を長年新谷さんは発信し続けていますね。

仕事道具の無線機

 新谷さん「12月1日から4月の中ぐらいまで、朝3時半から午前中はびっちりなだれ情報のことにに掛かりきりだし、一日中そのことを考えています。ニセコなだれ調査所は、ニセコアンヌプリ地区のなだれ事故防止対策協議会の委託、補助金を受けて、なだれ情報、安全対策をしているんです。ボランティアではないです。でもお金をもらっていない時代からずっとやっていたし、『これは俺の仕事だ』というプライドと使命感を持ってやってきました」

なだれの予測というのは、新谷さん独自の理論に基づくのですか?

 新谷さん「独自じゃないですよ。ちゃんと科学的な理論を尊重していますし、科学的な態度でやっています。ただ、学者さんたちと違うのは、俺達は事故防止を目的としてやっているという点です。学者さんたちはなぜ雪崩が起きたか、それぞれの事象を解析しますけど、事故が起きた後で雪崩の起きた原因が分かったってあとの祭りじゃないですか。ニセコでやっていることは、こういう条件が揃ったら雪崩が起きやすいんだから、その日はコースの外に出さないようにしようというスタンスですから」

ニセコルールの今後について課題や懸念はありますか。

 新谷さん「ひとつは『なだれ情報』の後継問題。俺ももう70だからそろそろ真剣に考えないと(笑)。もうひとつは、このルールを批判して、守ろうとしない外国人が増え始めていることですか。なぜ守ろうとしないか、その本質にあるのは『日本人が作ったルールをどうして俺達が守らされなければいけないんだ』という意識ですね。そう公言する外国人が実際に住んでいるんです。彼らに言わせるとこのニセコルールは欧米の理論に基づいていないということらしい。でも、山ごとに条件は違うわけだから、教科書的な理論ではだめなんですよね。『ルールを守る必要がない』と思う人が、なし崩し的に増えるのは心配ですね」

ニセコ雪崩調査所タペストリー

移住の大先輩である新谷さんから、移住を考えている方にアドバイスや忠告をするとしたら。

 新谷さん「自分の価値観をあまり持ち込まないほうがいいと言うことかな。郷に入れば郷に従え。都会の論理を押し付けちゃいけない。俺もここに住み始めて10年位は地元の農家の人に『旅の者のくせに』って言われた。でも例えばどこかで家を新築するって聞けば酒と大工道具を持って行って手伝ったし、一緒に畑も作った。今ではそんな農家さんの息子の結婚式にも呼ばれるようになった。うれしいことですよ。もし本気でここに住み続けようと考えるなら、この社会に溶け込むためにはどうしたらいいかを考えるべき。でも信頼をされるまでには時間はかかると思いますよ」
笑顔の新谷さん

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