有島記念館概要

有島武郎

 北海道の開発を進めるため、国有未開地への入植を奨励する「北海道国有未開地処分法」が、1897年(明治30年)に施行された。有島家とニセコのかかわりは、有島武郎の父・武が、1898年(明治31年)、マッカリベツ原野(現・ニセコ町)貸下を出願したことにはじまる。一度は諸事情で返地したが、翌年、娘婿・山本直良名義で再出願し、貸下許可を受ける。以降、鉄道開通などによる入植者増加により、開墾は急速に進む。1908年(明治41年)、山本農場を武郎名義に改める。翌年、成耕検査に合格し、北海道庁から全地積を無償で付与されることとなる。1914年(大正3年)には、旧佐村農場を買収し、第二農場とする。武郎は自身の思想から農場所有に疑問を抱いており、父の没後の1922年(大正11年)、農場を小作人全員の共有として無償解放することを宣言した。それは、武郎の没する前年であった。
 1924年(大正13年)、有限責任狩太共生農団信用利用組合が設立され、武郎が望んだ「相互扶助」の精神によって営農されることとなる。しかし、1949年(昭和24年)、占領軍による農地改革の対象となり、農団は解散し、農地はそれぞれの持ち分に従って私有地となった。後に、旧場主の恩に報いるために「有島謝恩会」が設立され、旧農場事務所に武郎や旧農場の資料を保存・展示した。しかし昭和32年(1957年)5月失火による火災により旧農場事務所とともにこの記念館は焼失。 幸いなことに収蔵品の殆どは無事搬出され、昭和38年(1963年)7月、有島謝恩会が中心となり、再建運動がおこり、募金により、1階がレンガ造、2階が木造の2階建ての有島記念館が再建された。やがて、管理上の問題や会館の老朽化に伴い、有島武郎生誕百年を記念して町による新しい記念館が建設されることになり、有島謝恩会が保存していた農場の資料の収蔵品が町建設の新記念館に寄託され、昭和53年(1978年)4月、その資料を継承し、設立されたのが有島記念館である。
 ニセコは、武郎の作品にも登場している。小説『カインの末裔』は、狩太(現・ニセコ町)を舞台に、自然とも社会とも調和できず、本能のまま野生的に生きる農夫の姿を描いた作品である。この作品は、本格的写実小説として評価され、武郎の文壇での地位が確立することとなった。この他には、木田金次郎をモデルとした小説『生れ出づる悩み』、農場所有をめぐる父子の葛藤を描いた短編小説『親子』の舞台ともなっている。

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ニセコ町有島記念館
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